やる気0%からの料理術
「やる気0%からの料理術」という言葉に反応。
夕飯の時間は大体決まってきますが、その時の自分のテンションが作りたいとは限らない。というか、私の場合…
いつも料理をする前はやる気ゼロ。。。
話は少しそれますが、
同じ著者の本、三年前も読んでました。
(前記事「料理は苦痛だ」)
料理に関しての悩みは深いのです。
話を元に戻して…
「絶望に寄り添うレシピ」はまえがきを読みはじめた時点で
なぜかうるうる…。泣きそうになりました。
私が料理で日頃、もやもやっと感じている霧を
ズバリ、はっきり晴らしてくれているからです。
毎日繰り返す「ごはん作り」は、
自分のやる気やタイミングなどおかまいなしに、
誰かや何かに追われる地味なミッションなのです。
料理の途中の小さな失敗、要領悪く段取りがうまくいかないことに落ち込んだり、絶望したりすることがあっても、自分で切り替えなければごはんは出来上がらない。
「無」となり、自分を励ましながら完成まで続けていくしかない。
で、
「作っては食べ、食べては片付けてまた作る」
これをビックリするほどただただ繰り返しています。
無限ループです。
「ごはん作り」を毎日している側への共感にあふれています。
料理を「考える」「決める」というミッション
自分の作る料理を待って食べてくれる人がいるっていうのはありがたいとも思うのですが、当たり前のようになると話はちと違ってきます。
毎日の「いただきます」は、多くの作業を踏まえてたどり着いた瞬間なのです。
家族よ、あなたたちにも座ったままでできる貢献があります。
料理を手伝わない、作らないなら、
「せめて考えてくれ。決めてくれ。」
ほんとに!!
「何でもいいよ」
「簡単なものでいいよ」
一瞬やさしい、懐のでかいかのような言葉。
耳にするこちらは絶望しかありません。
その「簡単なもの」って何?
「そんなもんでいいか」と思う
各々の絶望シーンのエピソードはどれも経験したものばかり。
解決法もとてもユーモアがあって、心が軽くなります。
絶望シーンの一部↓
- おかずがマンネリ、しかも一面茶色。
- だし取りが面倒
- カレー鍋を洗ってスポンジが死ぬ
- 塩加減の迷宮
- 和食の味が決まらない
- 野菜を切るのが面倒
- 味付けのパターンが思いつかない
- 結局何を作っていますか
などなど。
「だしは、昆布とかつおぶしでとらなきゃ」とか、
彩りよく、副菜で野菜も添えなきゃとか
がんじがらめで苦しくしてたのは
自分の思い込みだったのかも。
だしは素材からも出るし、
副菜が面倒とおもったら
メインのおかずに野菜をたっぷり入れて
ワンプレートにすればいい。
「そんなもんでいいか」と
軽やかに毎日のミッションをこなしていこう
と思えました。
まとめ
著者は最後の章で
料理で一番しんどいのは、
毎日の献立を考えることかもしれません。
激しく同意。
献立が決まれば半分できた様なものです。
ただ、唯一献立決定権のある身のメリットは
今自分が食べたいものにできること。
「何がいい?」「何食べたい?」
と聞きながら
自分の食べたいもの以外は拒否権行使。
そんな利点も考えながらも、毎日のごはん作り
「そんなもんでいいか」と、
気楽にこなしていこう。